History

消防団の歴史

消防団の歴史
飯能消防団の歴史(令和4年4月現在)
年月 沿革
明治27年11月 飯能消防団を組織する。(200名)
飯能消防団第一組 一丁目,二丁目,三丁目,原町,宮本町,川原町,前田,中山,本郷,大河原
飯能消防団第二組 永田,小岩井,久須美,小瀬戸
大正11年7月 改革組織により飯能消防団第一組、第二組を統一し、新たな飯能消防組を設置する。
昭和14年4月 飯能警防団を設置する。警防団員 565名
昭和18年4月1日 飯能町、精明村、元加治村、南高麗村が合併し、新たに飯能町となる。
町村合併により、定数1090名となる。
昭和22年8月1日 警防団を消防団と改め、定員921名・8分団体制とする。
昭和23年3月7日 飯能消防団設置条例で定員970名・8分団体制とする。本部8名(団長1名、副団長3名、部長1名、班長3名)一分団66名 二分団94名 三分団90名 四分団101名 五分団170名六分団181名 七分団62名 八分団198名
昭和25年 当時の消防車両の装備速消車(水槽2,000?付き)2台 ポンプ自動車5台手娩ガソリンポンプ3台 放水車(消火栓利用)10台 椀用ポンプ33台
昭和26年1月 消防団の定員を562名とする。
昭和29年1月1日 飯能町は市制施行し、飯能市となる。
昭和29年4月1日 元加治村が飯能市から分離。よって定員522名・7分団体制に改める。
昭和30年4月 消防団に予防部を新設する。
昭和31年9月30日 3村(原市場村,東吾野村,吾野村)の合併に伴い、定員1072名・10分団体制とする。
昭和33年1月 改革組織により定員を920名とする。消防用装備は、水槽付消防ポンプ自動車3台 普通消防ポンプ自動車4台手動力ポンプ車1台 小型動力ポンプ車57台 消火栓ホース車9台
昭和34年10月1日 飯能市消防本部、消防署が設置される。消防署職員19名 水槽付消防ポンプ車1台 普通消防ポンプ車1台
昭和35年6月 消防団の定員を529名とする。
昭和39年6月 非常勤消防団に係る退職奨励金の支給に関する条例制定する。
昭和42年8月 埼玉県・飯能市主催の防災総合訓練を天覧山グランドで実施する。
昭和52年4月 消防団の定員を488名とする。
昭和55年4月 消防団の定員を398名とする。
昭和58年3月 消防団車両26台に無線受令機を装備する。
平成6年11月 広報誌<かわらばん>第1号発行。現在に至る。
平成8年4月1日 埼玉西部広域事務組合消防団を設置する。
飯能消防団定員375名 日高市消防団定員166名 名栗消防団定員150名
平成9年8月1日 飯能消防団創立50周年
平成10年5月16日 飯能消防団創立50周年記念式典を挙行する。
平成10年8月20日 第20回埼玉県消防操法大会小型ポンプの部で第9分団4部が優勝する。
消防団員の定員を334名とする。
平成15年4月 消防団員の定員を331名とする。
平成16年4月 消防団員の定員を329名とする。
飯能市と名栗村が合併
平成17年3月27日 名栗消防団が解団式を挙行する。
平成17年4月1日 名栗消防団が飯能消防団と合併し、飯能消防団第11分団が発足。それに伴い、消防団員の定員を390名・11分団体制とする。
飯能・名栗消防団合併記念祝賀式典を挙行する。
平成18年4月 平成18年4月 消防団員の定員を387名とする。
平成19年8月1日 飯能消防団創立60周年記念式典を挙行する。
平成20年6月4日 飯能消防団HP作成委員会 第1回目が行われる。
平成20年8月1日 飯能消防団HP開設
平成22年2月 飯能消防団に(財)日本消防協会より防災活動車1台が交付される。
平成22年4月1日 飯能消防団 女性消防団14名で発足(愛称「は組」)
平成25年4月1日 所沢市、飯能市、狭山市、入間市及び日高市で構成される埼玉西部消防組合の発足に伴い、飯能消防団は飯能市管轄の組織となる。
平成25年4月 消防団員の定員を386名とする。
平成26年8月23日 第28回埼玉県消防操法大会小型ポンプの部にて飯能消防団第1分団1部1班が優勝する。
平成30年2月24日 飯能消防団創立70周年記念式典を挙行する。
平成31年3月5日 第71回日本消防協会定例表彰式に於いて特別表彰「まとい」を受章する。
令和2年2月22日 飯能消防団 女性消防団「は組」発足10周年記念式典を挙行する。
令和4年4月 消防団員の定員を365名とする